勝田台 ひみつきち       


   


 

蓮華岬 布石 〜娘虚無僧・男の花〜



PART 1

 

蓮華岬 布石 〜娘虚無僧・男の花〜 をお聞き頂いただろうか?


先日、当ホームページ管理人の中津川健壱は、蓮華岬 布石氏にお会いし、娘虚無僧リリースから現在までのロングインタビューを敢行した。その内容を余すところなくお伝えしよう。


某月某日 「ひみつきち」に雪の降る足元の悪い中、数々の資料を携えてお越し頂いた。


先ずは飲物から。酒はお好きなようでウイスキーの水割りをオーダー。私はいつものホッピー。お互いに自己紹介してからロングインタビューが始まった。




蓮華岬 布石 本名・飯吉美智保(いいよし みちほ)

昭和21年(1946年)5月3日 栃木県黒磯市(現・那須塩原市)で生まれ


昭和25年(1950年)12月30日、千葉県八千代市勝田台に転居


以来67年にも亘りこの勝田台を見つめてきた、言わば生き字引的存在である。


奥様とは同じ歳、同じ身長、同じ苗字、同じ生まれで、職場で出会ったと言う。が、後に別な場所で出会いがあったという証言があり、その部分は後程紹介する事とする。

 

さて、本題の「娘虚無僧」リリースの話に入る。蓮華岬氏によると、この「娘虚無僧」は23歳の電電公社(日本電信電話公社 現NTTグループの前身となる公共企業体)勤務時代に作ったと言う。「娘虚無僧」のジャケットを見ると1971年にリリースされた事になっており、この時点で蓮華岬氏は25歳。つまり23歳で「娘虚無僧」を作り、25歳でレコードをリリースした事になる。

 

では、この「娘虚無僧」を作った切っ掛けであるが、蓮華岬氏が23歳。場所は当時の係長が連れて行ってくれた門前仲町の所謂、下町酒場。ある一人の男性と知り合った事が始まりだ。

 

その男性から「詞なんて作れないだろう」と言われ、「じゃ、作ってやるよ」と意地になって作ったそうだ。そしてその男性の娘さんをモデルにして作った詞が「娘虚無僧」だった。その男性の娘さんの名前は「金沢宏美」。そう、「娘虚無僧」で尺八と台詞を担当している金沢宏美氏であった。

 

金沢宏美氏は当時、尺八奏者としてNHKのオーケストラに所属していたそうだ。そして個人的に一つ気になっていた事があった。「娘虚無僧」のジャケットに写っている女性だ。蓮華岬氏に聞いた。


-この尺八を吹いている女性は金沢宏美さんですか?

「そう、この人が金沢宏美さんだよ」


やっぱりそうか!尺八奏者としてNHKオーケストラに所属していた金沢宏美氏をモデルに「娘虚無僧」の詞が作られ、レコーディングで尺八と台詞を担当し、ジャケットに登場。全てが繋がった!!


-金沢宏美さんとは何度もお会いしていたんですか?

「金沢さんは3歳上でそれっきり。尺八は上手いんだが目立たないタイプだった。1回しか会ったことがない。何故ならお父さんが会わせなかった。娘に変な男が付かないようにだろうね。池袋に住んでいて一度だけ訪ねた事がある。詞が出来てこれで良いか持って行った。金沢さんは会ったことがないのにこれだけ作ってくれたと気に入ってくれた。ただ受けるかどうかは・・・と言っていた。お父さんは、あんまりと言っていた。まあ作っちゃったんだ、若いのにこんだけやるのは凄い。と言われた」


その後の蓮華岬氏に言える事だが、全て勢いで物事を進めて行くのだ。


-「男の花」はその場で作ったそうですが、本当なんですか?

「レコードは2曲分のお金を払う。1曲でも2曲でも金額が一緒だと言われてその場で作った」


本当だった!


-日本C・A・Cレコードとは自主制作の会社だったんですか?

「日本C・A・Cレコードはあまり分からない。スタジオは浜松町、貿易センターのあるあたりにあった」


-C・A・Cレコーディングオーケストラがバックを務めてますが、このオーケストラはどんな感じだったんでしょうか?

「本当のオーケストラは高かったので、4〜5人の音楽好きが集まって即興で作った。スタジオを都合2日借りた。レコードはジャケットだと言われて、これも即興で作った」


「娘虚無僧」のジャケットにある赤いラインは、当時勤務していた電電公社の教科書の表紙を使ったそうで、写真をコラージュしてイラスト(点描画)も蓮華岬氏によるもの。

 

「この写真、実はヒゲが生えていたんだよ。それじゃマズいんで写真屋が修正してくれた」そうだ。


-作曲や歌心はあったんですか?

「小学校のころから好きだった。社員教育用としてテープレコーダーを一人一台電電公社が買ってくれた。それを使って少しずつ録音はしていた。作るつもりも歌うつもりも当時はなかった」


そして「娘虚無僧」の新事実が判明した。


「先輩にオオノヒロシさんって方がいて歌がうまかった。「娘虚無僧」は本当はこのオオノヒロシさんが歌う予定だったが、当日格好悪いとか言い出し来なかったため、しょうがないので歌った。それで1日を費やした。上がっちゃって声が出ない。でもミキサー担当が、あなたは真面目で相当素晴らしい人生を送っていると気に入ってくれて、ミキシングで上手いことやってくれた。編曲も分からず島方さんがやってくれた」


何と!「娘虚無僧」は蓮華岬氏が歌う予定ではなかったのだ!! 


「レコード制作は100枚単位。レコード自体は100枚も作ってないと思う。ジャケットだけは宣伝のため作ってくれて、先輩が面白がっていろいろな飲み屋に持って行ってくれた。で、売れたのは本当に売れたのは9枚。当時23万円くらい掛かったが友達が売ってくれた」


そして夏休みを利用して一大キャンペーンを打つべく伊豆大島へと向かう。


蓮華岬 布石 〜娘虚無僧・男の花〜 PART2へ続く
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